Tuesday, October 16, 2012

日本の歴史3 古代国家のあゆみ② 

新しい国政の模索

改新の詔:
<正月>
私地私民の廃止 - この時点で宣言された可能性低い
京・畿内国・評の制 - 国造 から 評造 
戸籍・計帳 班田収受の法 - 宣言?
ブヤクの制 - 確か
<他>
薄葬令 葬儀と婚姻

氏族制から新しい官職制度を導入するために品部が廃止された。
官位制度が改革された。12階位から13階位から19階位
白雉(はくち)へ改元 大王の強化
難波の宮へ移転 前期難波宮 壮大な宮殿、大きな庭 行政機能の集中、肥大 
大和へ都をもどす
唐への脅威、恵日、高向玄理を第3回遣唐使として派遣 

キーワード:
連:神を祖先
臣:大王を祖先
品部(しなべ):
 舎人 膳夫(かしわで)
ウジ:
トモ: 大和朝廷と国との結びつき 

国造: 地方豪族に対する姓

人物:
蘇我石川麻呂: 大兄王子に謀反の疑いをもたれ山田寺で自殺
金春秋: 新羅王の孫娘 人質兼外交官として日本に来るが翌年帰国。唐へ
孝徳天皇:大化の改新時の天皇 中大兄王子と対立 難波の宮に取り残され死

年代:

653年: 第2回の遣唐使(前回630)


 

Sunday, October 14, 2012

放送大学 日本美術史2

古墳・飛鳥時代

古墳:
弥生時代に生じた身分格差がさらに拡大。
巨大な箸墓古墳にみられるような見せるための建造物でvisual culture の変換が見られる。
前方後円墳は日本のオリジナルで形の意味は不明
古墳は、王族を中心とした権力者のネットワークの形成と、支配者層と被支配者層の分離を象徴する。
古墳の建造者は王族からの容認が必要だった。古墳の築造には莫大な労力

埴輪:
5c前-形象埴輪
 5c後-具象埴輪 家->人物 彩色が美しいものも散見
6c前- リアルな人物像。女性半身像、男性全身像(身分格差の表れか)、

装飾古墳:
九州地方に多い。
5c後半。日ノ岡古墳。幾何学状の文様が悪霊を退散する目的で。
線的造形が弥生時代の面的造形と対照的。
6cになると彩色古墳。チブサン古墳。赤白青。円と三あっけ意。
6c後半。具象の出現。中国、朝鮮半島の影響か。

仏教の伝来:
百済の聖明王から欽明天皇より仏典と仏像
それ以前にも仏教を信仰していた渡来人あり。北九州や瀬戸内海で仏像が発掘
司馬たつと、とり仏師の祖父、も仏教を信仰
仏像を拝むことと信仰が一致。
欽明天皇、仏像のビジュアルな魅力(美しく、きらきら)に魅了され、臣下に信仰の是非を問う。
黄金を好む感覚。藤ノ木古墳の金銅製の箔。中国、朝鮮半島の影響。
権力者は渡来のきらきらしたものに引かれる。
視覚文化。

寺院建設の意味:
東アジアの緊張を見据えた政治的プロパガンダ。
584の隋の建国により脅威が形成。百済と新羅が対立。百済は日本に援軍を要請。
また、律令と国家仏教による国家の統制は文化的なステータスの向上を意味する
 飛鳥寺:
寺+仏像+絵画などの工芸が一体化した建造物
手本は中国
最初の寺
569年、寺の完成。国家的な事業
蘇我馬子とウマヤドノ王子が物部氏を破ったことを感謝し建立
宮が板ぶきのとき、寺は瓦葺
飛鳥大仏、2.75メートル。くらつくりのとり
隋からの使者に見せて、隋をけん制。
 大仏は神々ではなく唯一の神。

法隆寺:
独特の非対称空間
釈迦三尊 生身の人間でない造形が特色。筋肉や衣服かたくこわばっている。側面のあつみがとぼしい。
聖徳太子と同じ大きさ。権力者と丈がいっしょといのは中国でも見られること。
台座には山などの絵画。山は僧が修行する現世を表す。
 玉虫の厨子-本生図。捨身飼虎図。去った王子の自己犠牲。ほっそりした体。曲線。(現実感はない)

飛鳥前期の特徴:
抽象的で観念的。北魏の影響。インドの肉感的が中国で変質。
救世観音、観念と具象のミックス

飛鳥後期の変化:
658年隋が滅亡。唐の建国。
新羅と唐が百済を滅ぼし。日本の百済の援軍、敗退。
4000人から5000人の亡命者が大和へ。
隋と初唐、百済末期の影響が見られる。
切れ長の目、立体的、現実感、ほおの厚み
エンタシス

具体例:

法隆寺
飛天、かろやか。
壁画、人間界と仏界のつながりを表す。
阿弥陀浄土の中の山、僧が修行する現実界。連続性を表現。
釈迦と聖徳太子のダブルイメージ
ギリシャ、ローマの陰影法
橘婦人の厨子:
スペインの影響
阿弥陀浄土を表現
阿弥陀如来の顔、MIX
衣、うすく体にぴったり
勢至菩薩の子供のような顔立ち
しゅみ座、初唐の様式。

高松塚古墳:
人物のかさなり。しゃべっている人と聞いている人。奥行き、前後で表現。
人物の配置の同一パターンが反復されている。
壁画の人物が見る人に視線を合わせている。
唐の影響。
大陸との文化のシンク。東アジア文化圏に取り込まれる。



 

日本の歴史3 古代国家のあゆみ ①

宮中のクーデター & 新しい国政の模索

大化の改新は単なる豪族&王族の権力闘争ではなく、東アジアの勢力地図の激変に応じたものである。有力豪族の個人支配から仏教思想に基づいた律令支配への転換の最初のステップとも言える。氏族制を超える仏教の導入。


大化の改新は、蘇我入鹿を中大兄皇子と中臣鎌足が暗殺。
 人物:
蘇我馬子、蝦夷、入鹿
皇極天皇:のちの斉明天皇
古人大兄王子 
恵日: 留学僧。一番先に帰国
蘇我石川麻呂: 大化の改新の一味
南淵請安(みなみぶちしょうあん):留学生、のちに国博士
高向玄理(たかむこのくろまろ):留学生、のちに国博士

キーワード:
板蓋宮(いたぶきのみや):大化の改新が起こった場所
国博士


年代:

☆ 589:隋が南朝を滅ぼし、統一国家
598:隋の文帝、高句麗に軍を派遣。以降両国に緊張関係
608:小野妹子、遣隋使
612:隋の煬帝、高句麗に出兵、敗退
☆618:隋が滅亡。
641:百済、義慈王、クーデターにより即位
641:高句麗、宰相がクーデター。国王や大臣を惨殺
☆645: 唐の太宗、高句麗を征伐
645:大化の改新